春雨煙る稲荷の地

 しとしとと、雨の降る日だった。
 恵みの雨、とは言うが。
 きままな散策を楽しんでいた身にとっては、嫌がらせのようなもの。
 だがしかし、風情があって良いと言えなくもない。
 (それもまた一興)
 雨はまるでもやのように辺りを包んでいたが、それがまた静浄さを感じさせていた。

 どれ程歩いたか。
 不意に、声を掛けられた。
「もし?」
 振り替えると、和服の女性がそこにいた。
 (綺麗だ)
 最初の感想が、それだった。
「どうなさいました?こんな雨の日に。見たところ傘もお持ちでない様子…体を雨に晒すのがご趣味で?」
 そう言って、女性がくすくすと笑う。
 知らず、苦笑して頭を掻いた。
「宛てのない散策の途中です、濡れるのが趣味という訳ではないのですが…途中から雨に降られたもので」
「不用心ですね。山の天気は変わりやすいんですよ?」
「いやあ、全くですな。これからは気を付けるとしましょう」
「風邪を引きたくないのなら、それが賢明ですね」
 ころころと、無邪気に笑うものだから苦笑するしかない。
 ひとしきり笑った後で、宛てが無いと云うのなら、と再び女性が口を開いた。
「もし良ければ、この先の社で一緒に雨宿りでも如何ですか?」
「それはありがたい」
 警戒心の欠片もない様子の女性にやや驚いたが、ありがたく申し出を受ける事にした。
「では、案内しましょう」
 此方へ、と歩き出す女性の傘に入れて貰い、そっとその場を後にした。

 ややあって、社が見えてきた。
 どれ、と見て、少し驚く。
「やあ…お稲荷様ですか」
「珍しいですか?」
「ええ。地元では、一つしか見た事がないのですよ。それも、小さな小さなもので…中学に行く途中に、皆が寺坂と呼ぶ急な坂があるのですが、その真ん中辺りに、寺とお稲荷様が丁度向かい会うようにしてあったんですよ」
 思い出す内に、知らず知らず、熱心に語り始めていた。
 何故か、思い出せる限り詳しく語りたいと思ったのだ。
 ある種の憧憬かも知れぬ、少年の日を想う時人は、故郷を想うような狂おしさや懐かしさを感じる事があるものだ。
「そう…寺と社とは、また面白い組み合わせですね」
「私もよく思いました。左には寺と墓、右には公園と社。
あのような組み合わせは、ついぞ見た事がありませんね」
 言って、笑った。
 名も知らぬ女性にこんな事を話しているのが、また面白い。
 何時にない打ち解けた空気に、思わずこんな事まで口にでた。
「遅刻しそうな時を除いては、よくお参りをしたものですよ。と言っても、ただ手を合わせるだけの、挨拶のようなものでしたが…」
「…成程ね…だから…」
 最後は独り言のように呟いた女性を、いぶかしんで見やる、だが女性は答えずふわりと微笑んだだけ。
「ところで、この辺りには狐がでると言われていますが…
貴方はご存じ?」
「いえ、存じませんでした。そうですか…でも私は、例えば貴方が狐だったとしても驚きませんよ。何せ貴方は酷く美しい」
 悪戯っぽく言って笑うと、女性もコロコロと笑った。
「面白い事を言うのね。狐は、男の精気を喰らうといいますよ?」
「貴方になら、構いませんよ」
 調子は戯言、けれど眼差しは真摯に。
 女性は堪らず吹き出した、というように笑うと、ああおかしい、と言って立ち上がった。
「…?どうしました?」
「じきに、雨が上がります。お帰りなさい、今なら狐もでないでしょうから」
 言って振り返り、女性はふわりと笑った。
 優しい、優しい、笑みだった。
 振られた、と思った。
 仕方なくかぶりを振ると、では、と会釈して歩き出した。
 2、3歩歩いた辺りで、遠い同胞に免じて…と微かな声が聞こえてくる。
 はて、と振り返るが、そこに女性の姿は見えなかった。
「…?」
 何時の間に去ったのだろう。
 どちらへ行ったのかとぐるりを見るが、見えるは木々ばかり。
 小首を傾げて、また歩き出した。

 宿に戻ってふと話してみたが、確かに狐は出るとの話はあるが、そんな社はないとの事だった。
 あれは一体何だったのだろう?

<End>


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こちらは、誰かがお題を出して、それをその場で即興で作るという遊びで書いたものになります。