森の中の女の子

 ある日、熊さんが森の中を歩いていたら。
 一人の女の子が切り株の前、月明かりの中で祈っていました。

「もし、お嬢さん。一体何をしてるんだね?」
 女の子は、目を閉じたまま答えました。
「私はただ祈っているだけ」
「一体何に祈っているのかね?」
「私は私に祈っているの」
「神様に祈りはしないのかい?」

 女の子は、初めて熊さんを見ました。
 それはそれは、深い、深い瞳でした。
 静寂そのものを伝えるような、静かな眼差しでした。

 やがて女の子は、囁く様に言いました。

「神様は私を助けない。
 神様は私を罰しない。
 だから神様なんてこの世にはいないのよ。
 少なくても、世間で言われているような神様は。
 だから私は私に祈るの」

「月や星に祈ったりはしないのかね?」

「彼らはとても薄情よ。
 彼らは、ただそこにいるだけ。
 それが、彼らという存在。
 そして、それだけが彼らの存在意義なのよ」

 女の子の言葉は、とても淡々としていて、糾弾する響きも、冷めた響きも、感じられませんでした。

「誰も私を守ってはくれないわ。
 だから私は私に祈るのよ」

「…お嬢さんは、その、守られたいとは思わないのかね?」
「全ての生き物は、与えられた役割と、自分の感じる摂理に従っていきるだけ。
 それに対してどうこうは思わないわ」

 熊さんは、しばらく言葉が出ませんでした。
 この、いかにも自分より小さく、年端の行かない少女に対して、
 掛けるべき言葉も、諭すべき言葉も、幾らでもあるのに、です。
 言葉自体は幾らでも浮かぶのに、浮かぶそばから、それらは泡となって消えるのでした。
 だから熊さんは、長い事口を開けませんでした。

「…お嬢さん。誰も自分を守らない、と言ったね」
「ええ、言ったわ」
「全ての生き物は摂理に従うだけだと言ったね」
「ええ、言ったわ」
「ではお嬢さん」

 一瞬だけ、躊躇う様に区切った後、熊さんは続けました。

「私がお嬢さんを食べても、お嬢さんは恨まないでくれるね」
「…ええ、恨まないわ」

 なら、と熊さんが女の子に齧り付こうとした時。
 女の子が何かを囁きました。

 熊さんは耳を澄ませようとしました。
 でも、できませんでした。
 何故なら、熊さんは腹を深く、深く刺されていたからです。
 熊さんは、何が起こったのか判らないまま、倒れました。

「誰も私を守ってくれないから、私は私を守るのよ」

 そう言った女の子のなかから、兎さんがでてきました。
 女の子は、実はウサギさんだったのです。人間の皮を被ったウサギさんだったのです。
 とびきり剣呑な、ウサギさんでした。

 ウサギさんは、熊さんをじっと見下ろしました。
 そして小さく呟きました。

「だから、私は祈るのよ」

 そうして。
 ウサギさんはまた、祈り始めました。
 切り株に手を乗せて。月明かりの中で。
 朱を纏ったままで。