アルコール色の月明かり

 清廉な空気の、夜道を。
 月明かりを浴びながら、何処へともなく歩く。

 ホ、ウ…

 溜息にも似た、深い息をつく。
 良い、夜だった。

 ~♪
 記憶には無いが知っている曲を、無意識に口ずさむ。
 それは徒に空気を傷付ける事もなく、静かに闇に溶け込んで行く。
 しとやかに漂う闇と一体化できそうなほど、穏やかな夜だった。



 …ん……?

 前方に認めた相手の姿に、軽く眉宇を顰める。
 月の光に似た、柔らかな髪と。
 そのスタイルのせいで、実際より高く見える背と。
 そして、誰よりも似合うでああろう、黒いコート。
 一目でバクラの方だと解った。

 立ち止まると向こうもこちらに気付いたらしく、傲然と振り返った。
「よう…王様ぁ」
 独特のねっとりとした物言いで、バクラが口を開く。
 その瞳には、無邪気な傲慢さで玩具を見下ろすような、彩。
 敵意や害意とも少し違うのだ。
 きっとバクラにとっては、自身以外の全てが玩具なのであろう。
 まだ無知な子供がそうであるように。
 …もっとも、バクラの場合は下手に知恵がある分、タチが悪いが。
「…よう。こんな所で何してやがる」
 尋ねると、バクラはくつくつと喉を鳴らした。
「単なる散歩さ。今夜は月が綺麗だ…部屋にいる道理も無いだろ?」
「ふうん?貴様に風情を嗜む心があったとは意外だな」
「オレ様にだって、そのくらいの嗜好はあるさ。今日は機嫌が良い…散歩の一つや二つもしたくなるってもんさ」
「フ…違いない」
 くつくつと、笑う。
 それにしても、まさかバクラとこんな風に話す事があるとは。
 最初が最初だっただけに、とても不思議な状況だった。
 勿論、気を許している訳では、決してないけれど。
 口を開こうとした、瞬間。
「おんやー?ガキが二人もこんな所で何してるんだぁ~?」
 いかにも性格の悪そうな声が、降ってきた。
「フン…貴様には関係あるまい」
「それともオレ様達に何か用でもあるってのか?」
 流そうとしたのに反して、明らかに面白がっている口調のバクラの言葉。
 からかうような口調だが、相手は意に介した様子もない。
「くっくっ…いや何、ちょ~っと飲み代が足りなくなっちまって、カンパして貰おうかと思ってね。痛い思いはしたくないだろう?」
 取り出したナイフを片手に、ニヤニヤと男が笑う。
 思わず、バクラと顔を見合わせる。そして、ほぼ同時に吹き出した。
「フン…自分の飲み代くらい自分でどうにかしたらどうだ」
「オレ様は今日は機嫌が良いんだ…今立ち去るなら、聞き逃してやってもいいぜぇ?」
 傲岸な物言いに、今度こそ流石に相手が明らかに不機嫌になった。
「ちっ…どうやら痛い思いをしないと解らねえみたいだな…」
 自分が狩る側だと信じて疑わない相手を、悠然と見つめて。
「ククッ…なら、こうしよう。オレとゲームをして、勝ったら財布ごとくれてやる。どうだ?」
「くっくっ…何を言い出すかと思えば…ナイフが怖くてそんな事を言い出すとは」
「おいおい王様ぁ、一人で楽しもうとするなよ。おい、オレ様も財布を掛けてやるぜ、たかがゲームで二人分の財布が手に入るんだ、悪くない話だろ?」
 完全に面白がっているバクラが乗っかってくる。
「…フン、そこまで言うなら付き合ってやるよ。さあ、何をする気だ?」
「そうだな…そういえば貴様は飲み代目当てだったな。くくっ…よし、そこに行くか」
 言って、目の前のカジュアルバーに入り適当な席に着くと、一人でカウンターに向かう。
 そして店員にオーダーすると、席に戻った。
 訝し気な視線を涼しい顔で流し、待つ事暫し。
 三つのグラスが、運ばれてきた。
「さて…これは、とあるカクテルに、あるモノを混ぜたものだ。勿論、それが何かはオレも知らない。それを当てた者が勝ちだ。至ってシンプルだろう?」
「それが本当だって保証は?」
「あそこに貼ってある、遊び心を楽しむカクテルがこれさ。毎回中身は違っていて、飲んだ後でないと中身は教えて貰えない」
「くっくっ…成程、おあつらえ向きって訳だ」
「フン、解った、信用してやろうじゃねえか」
「よし、じゃあゲームスタート、だ」
 クイ、と、まずは軽く一口飲む。
 脳裏に広がる、海に似たイメージ。
 幾つかの、覚えのある味に似た味が、混じりあいながら漂っている。
 だが、まだ遠い。
 手招いているそれを掴むため、もう一口、飲む。
 そして、カウンターに並ぶ酒達を眺める。と。
「くっくっ…オレ様はもう決めたぜ」
「フッ、オレも決めたぜ。さて、貴様はどうなんだ?」
 視線を向ける。が、目の前には苦い顔。
「………ああ、決めたさ」
「じゃあ、店員を呼ぶか」
 店員を呼び、それぞれの予想を順に言う。
 結果…当たっていたのはオレとバクラのみだった。
「フフッ…オレ達の勝ちだな」
「ま、待て、こんなの…」
「潔く負けは認めるものだぜ。じゃあな」
 立ち上がると。
「待て!!」
 …まったく。
 振り返ろうとすると、それより早く、バクラが。
「往生際が悪いぜ…。なあ、オレ様は今日は機嫌が良いって言ったよな…?もしこれ以上ごねて、オレ様の機嫌が悪くなったら…」
 敢えて、その先を言わない。
 が、その声は恐ろしく冷ややかで、その眼差しは恐ろしく酷薄で……
 心無し、相手が後ずさるのが伝わった。
「さて、出るか」
 憐れな男を一瞥しただけで、あとはそのまま振り返ることなく、店を出た。

 フウ、と息をつく。
 相変わらず、夜風は身体に心地よかった。
 肺の奥までその空気を取り込んで伸びをすると、横でバクラが喉を鳴らした。
「憐れな男の末路ってのは、いつ見ても面白いもんだな」
 くつくつと、本当におかしげに。
 思わず、苦笑するしかない。
「それにしても王様が酒に詳しかったとはな」
「そんなでもないぜ。まあ、身体はあくまでもコレだからな。多少嗜む程度さ」
「ふぅん…」
 意味ありげに、バクラが呟く。
 何を考えているのか、何も考えていないのか、相変わらず掴み処がない。
「久々に口にしたら、何だか火が付いたな。折角だ、付き合ってもらうぜ?王様のせいだからな、嫌とは言わせないぜ」
 傲慢な笑み。
 まったく…と一人ごちるが、同時に、まあ良いか、と思う。
 気も、心も許してないし、改心したというのも信じてはいない。
 最初の恨みも忘れてはいない。
 が、敵意を向けられていない時にはねつける程、意地悪くもできていないのだ。
 そういう所が、甘いと言われる所以だろうか。
「よし…あそこにするか」
 慣れた感じで、先を行く。
 そのさまから、バクラは夜遊びに慣れているような気がした。

 付いたのは、落ち着いた感じのBARだった。
 大人しくバクラの後に付いて行くと、店員に声を掛けられた。
「恐れ入りますが年齢を…」
「フッ…人を見た目で判断するもんじゃないぜ」
 わざと意識して、大人っぽい笑みを演出する。
 店員がどぎまぎするのが伝わった。
「フフッ…」
 店員が言葉に詰まって戸惑っている内に、涼しい顔で通り抜ける。
 堂々とした態度が、逆に説得力をもたらす事を知っているからだ。
 そんなやりとりをバクラは面白そうに眺めつつも、どんどん奥へ進んでいった。
「くっくっ…王様はやはり子供に見えるようだなぁ」
 席に着くや否や、バクラが口を開く。
「致し方ないさ。そういえば貴様は聞かれなかったな」
「くっくっ…ここはたまに来るんでねえ…。さて、どうする?」
「そうだな…オレはオアシス・クーラーにするぜ」
「おーけー。じゃあオレ様は、グリーン・デビルにするぜ」
「デビル…貴様らしいな。にしても、ミントが好きだったとはな」
「王様こそ、もっとクールなモノが好きかと思ったぜ」
「まあ、名前も良いしな」
「成程、同意だ。オレ様も同じだぜ」
「ククッ…気が合うな」
 おかしげに喉を鳴らした辺りで、カクテルが出てきた。
 話の区切りが着くのを待っていてくれたのかもしれない、絶妙なタイミングだった。
 一応、形式だけの乾杯をしてから、口に含む。
 とはいえ、グラスは当てず、軽く持ち上げるだけだが。
 そして、さっきの男があの後どうしたかを、つらつらと予想を話し合った。
「さて…次は、サタンズ・ウイスカーズを」
「今度はサタンか…じゃあ、オレはラム・オアシスを」
「そっちは砂漠繋がりか」
「何となくな。味も大事だが、どうせなら名に込められた意味も楽しみたい」
「流石は王様、粋な事で」
 くつくつとバクラが笑う。
 また良いタイミングでカクテルが出てきた。
 とりとめのない話をしつつ、それを飲み終わる直前で。
「そうだ王様…苦手な酒はあるかい?」
「ん…?特にはないぜ」
「そうか。じゃあ折角だから、一つゲームをしないかい?ああ、安心しな、別に闇のゲームをしようってんじゃない、至って普通のゲームさ」
「ふぅん…?」
「くっくっ…そう警戒するなよ。人と飲むのは珍しいんでね…折角だからってだけさ」
「…解った、乗ってやるぜ。何をする気だ?」
「何、簡単な事さ。試しに一杯、好きなのをオーダーしてみな」
「…じゃあ、ジプシーを」
「おーけー。じゃあオレ様は…インペリアル・フィズを」
「…成程」
 打って変わったオーダーに、ピン、と来る。
「フフッ…面白そうじゃねえか」
「流石王様、勘が良いな。そう、次を頼めなくなるか、酔いつぶれたら負けさ。簡単だろ?」
「ククッ…いいぜ、チップは?」
「今日の飲み代、でどうだ?」
「ああ、いいぜ。じゃあ…スロー・ジン・フィズを」
「オレ様はスロー・ジン・カクテルだ」
「いきなり薄い所に来たか…では、ルイジアナだ」
「…更に攻めてきやがったか…じゃあ、ナインティーンス・ホールだ」
「またルか…お返しだ、ルシアン・ネール!」
「ル返しか…仕方ない、ルシアン・バレエだ」
「フフッ…遊びとはいえ、ゲームと名が付く以上、負けられないんでね…。さて、エンバシー・ローヤルだ」
「くっくっ…もう酔ってきてるんじゃないのか?オレ様はルシアン・レディーだ」
「フン、まだまだ…。イーグルス・ドリーム!」
「その強気が命取りになるかもだぜ?ムーラン・ルージュ!」
「それはどうかな?ユキグニ」
「ニノ・スペシャル」
「…ルイジアナ・ララバイ」
「イグアナ」
「…ナショナル」
「…ルイーズ」
「…ズーム…」
「…ムーラングロー」
「……オレンジ・ブロッサム…」
「…ムーンレーカー…」
「……アクア・マリーナ…」
「……ナイン・ピック…」
「………グリー…ン・ルー…ム……」
「…………チッ…ムは…もう…知らねえ…オレ様の負けだ…」
「………オレの…勝ちだ…」
 それだけ言うのが、やっと。
 明らかに飲み過ぎだった…認めるのは癪だが。
「…くっ…くっ…潰れる寸前…じゃねえのか…?王様ぁ…」
「この程度…全然…平気だぜ…貴様こそ…息も絶え絶え…じゃねえか…」
「…くっくっ…オレ様はまだまだ…いけるぜぇ…ひゃ…は…は…」
「……………」
「……………」
 暫しの沈黙の後。
「帰…るか…」
「ああ…そうだな…」
 しかし、二人とも立ち上がらない。
「…帰らないのか?」
「…そっちこそ」
「オレ様は後から出るぜ」
「いや、オレが後から出る」
「オレ様が後だ」
「オレが後だ」
「………」
「………」
「…チッ…今、立ったらやべぇんだよ…先に帰りやがれ…」
「…生憎だが、オレもだ…」
「………」
「………」
「もう少し、休んでから帰るか…」
「そうだな…」
「…くっくっくっ……」
「…くっ…くくっ…」
 二人で忍び笑いする様は、傍から見たら、或いは不気味だったかもしれない。



 翌日。
 盛大な二日酔いに襲われた相棒には謝り倒して、責任を持って、一日、表で過ごす事にした。
 滅多に経験した事が無かったが、成程、これはなかなか辛いものがあった。
 うん…これを関係のない相棒に味わわせるのは可哀想だ。
 獏良はというと、何故か解らないけど吐き気や頭痛がする~と言っていたので、何も知らないらしい。
 酷いな、と思ったが、オレにも責任があるかと思うと、果たして言うべきか否か…
 謝るべきかもと思ったが、言い出したのはバクラだから違う気もするしで、悩んでる内に一日が経ってしまった。
 取り敢えず心の中で謝って、見舞いだけ渡しておいた。

 …スマン、獏良……

 取り敢えずアレは二度とやるまい、と心の中で誓った。