眠レズノ君

 朝、起きて。そっと、自分の腕を見る。
 …そこに増えているモノ、に気付いて。
 チクリ、と胸に痛みが走る。
 繰り返される朝。繰り返される光景。
 もう、何度目かも解らないのに。
 それでもまだ…胸は痛みを訴える。



「…もう一人のボク」
 彼の部屋で、呼び掛ける。
 少しの間をおいて。彼、が現れた。
「…よう、相棒」
「……ねえ。また切ったでしょ?」
「……」
 無言のまま、泣きそうな笑みを浮かべて。
「そろそろ…切るとこ、無くなっちゃうよ?」
「…そう、だ、な……」
 彼が顔を…歪ませ、る。
「ねえ…どうして、切るの…?」
「………さあ…どうしてだろな…」
 それは。言わないのか…言えないのか。
 隠し事が増えた君。誤魔化しの増えた君。
 誰より近いのに、誰よりも遠くて…
 そして、眠ラズノ君。
「ね…まだ寝れないの…?」
「…ああ」
「今まではどうしてたの…?」
「さあ…覚えてないな…」
「今夜も…寝れそうにないかな…?」
「…どうだろ、な…」
 昼も夜も起きてるって、どんな気分なんだろう?
 昼は部屋の中で一人きり。
 夜はボクの身体で一人きり。
 それは凄く淋しくて、憐れで…
 でも…
「ボクは…何もしてあげられない、の…?」
「……」
 問いかけは、ただ、闇に吞まれ…た。



 相棒が眠りに落ちた後。
 そっと、相棒の身体に降りる。
 みんな寝静まった、静かな家の中で。
 動くのは…オレだけ。
 溜息を一つ吐くと、忍び足で外に出た。

 シ、ン。

 清廉な空気に、肺が澄み渡る。
 冷たく、冴え冴えとした空気が、頭の芯までクリアにする。
 隅々まで静けさの染み渡った、良い夜だった。

 行く宛もなく、フラフラと歩く。
 知ってる道、知らない道、知ってる道…
 相棒の記憶から継いだ物もあれば、部屋の中からうっすらと見ていた物もある。
 それらが混在する中を歩きながら…
 一つの感情が、去来する。
 が、それを認めない。

 …ここは相棒が城之内君とゲーセンに向かった道…
 …ここは相棒が杏子と学校に行くときの道…
 …ここは相棒が獏良君の家に向かった時の道…
 …ここは相棒がじーちゃんとハンバーガーを食べに行った時の道…

 知っている。覚えてる。見ていた。けれど。
 共有してるのに…共有して、ない……

 思わず、顔が、歪む。
 歩いても歩いても、当然ではあるけども、誰にも会わない。
 みんなは、この街にいるのに。
 確かに繋がって、いるのに。
 大切な仲間であり、親友であり、そして…
 なのに。
 オレは今こうして、一人で歩いている。

 嫉妬している訳じゃない。
 ただ。
 確かな物が…欲しい。

 …オレの輪郭は、あるか?
 …オレの輪郭は、見えているか?
 …オレの輪郭は…みんなの中に、どれだけ存在して、る…?

 オレは此処に存る。
 オレは此処に在る。
 だけど知覚されなければ、オレは此処に存る、と言えるのだろうか…?

 認めてくれ。
 感じてくれ。
 そして…
 オレに輪郭を…くれ。



 そろりと、家に戻る。
 起こさないように静かに部屋へと入り、椅子に座る。
 差し込む月明かりが、外とはまた違った綺麗さで。
 思わず暫し、呆けたように見つめる。
 ややあって、ふ、と、ベッドを見つめる。
 そこに眠る相棒の幻を見やり、顔を歪ませる。
 そう。
 本当なら、今時分は相棒はそうやって無防備に寝ていて、オレはそれを見守ってる筈で。
 …済まない、と、思う。
 だけど。
 眠れもしないまま、一人で時を数えるには…一日一日は余りにも長すぎて…
 例え誰にも会えなくても…それでも…
 せめて皆の軌跡を感じ取りたくて。

 …っ…く…っ…う……

 嗚咽を、漏らす。

 オレハイッタイ、ナニヲ ノゾンデイル?

 望んでる物は、なんだろう。
 求めてる物は、なんだろう。
 探してる物は、なんだろう。
 目指す場所は、何処だろう。
 行きつく場所は、何処だろう。
 還る場所は、何処だろう。

 …嗚呼。
 オレは、何故……

 忍び寄る闇を…躱す術も知らないままに。
 ジワリ、と、絡め取られる。
 お前はこの闇を知ってるか?
 お前はこの夜の長さを知ってるか?
 知らないなら…せめて少しでも……

 誘惑に抗えず。
 引き出しの中から、ソレ、を取り出す。
 銀色に鈍く光る、ソレ。
 月明かりを映して、一層冷たく美しく。
 嗚呼。

 一閃。
 一筋の朱が、走る。
 無感動に見詰めていたが、ふと思い立って、それに口付ける。
 …鮮やかな朱の見た目に反し、味らしい味は余りしなかった。
 でも。
「…相棒の…味がする…」
 ポツリ、と、呟く。
 相棒の…命の味、だ…

「ハハ…そういえば、切るとこ無くなるって言ってたな…」
 右腕を見て、呟き。
 くつりと、嗤う。
「無いなら…他を切れば良い…そうだろ…?相棒……」
 左腕に、幾つも、幾つも、線を刻む。
 それを、一瞬遅れて、朱が追いかける。
 何となし、楽しくなってきたようにすら、錯覚を覚える。
 舞い踊る朱。月明かり。静かな夜更けの、徒に。

 …嗚呼。
 この傷があれば…相棒は、オレが部屋にいる時でも、オレを感じてくれるだろう…?
 それは、刻印。
 絆とか繋がりとすら、呼べぬモノ。
 それでも。
 少しでも確かなモノで、証が欲しくて…
 オレがオレである証、オレが此処に存る証、オレを感じてくれてる証…
 何でもいい。
 手段も、方法も、結果も、問わない。
 それが手に入るなら、オレは……

 …いっそ、この目を、抉り抜いてしまおうか?
 …それともこの腕を、切り落としてやろうか?
 …それとも…この首を掻き切ってしまおうか。

 オレを受け入れ、共有してくれるというのなら…
 この闇も共有してくれ……
 永過ぎる刻に蝕まれて、壊れていく。狂っていく。
 そうやって心配げな顔で、オレを気遣うというのなら。
 いっそ永遠に道連れにしてやろうか…?

 涙が、頬を伝う。
 ハラハラと…とめどなく。
 静かに零れるそれは、止まる素振りもない。

 どうすれば、この渇きが癒えるのだろうか。
 どうすれば、この飢えが満たされるのだろうか。
 何かが解ればよいのか。
 それとも逃げられないのか。

 …嗚…呼……
 絶望に呑まれる、寸前。
 いつの間にか床に落としていた刃に気付き、手に取る。
 そし、て………

 世界は…反転、した。