白葡萄を、その手に

 コツ、コツ…
 真白き廊下に、足音が響く。
 早く着きたいような、着きたくないような、そんな気持ちで歩いてる内に。
 目的地-病室-へ、到着した。

 「――」
 その名を、呼ぶ。
 それに気付いて、相手は、パッと顔を上げた。
「海馬くん!」
 心から嬉しそうな声に、気持ち、顔が綻ぶ。
「加減はどうだ?」
「まあまあ、かな。悪くはないよ」
「そうか。…ほれ、白葡萄。見舞いだ。好きだと前に言ってただろう?」
「覚えててくれたんだ、ありがとう」
 屈託なく、笑みを見せる。
 病院着が不似合いな程、こいつはよく笑うのだ。
 まったく、どちらが励まされているのやら。
 思わず苦笑しかけるのを、押し留める。
 せめて此処では、いつも通りに。

 他愛もない話をする。
 本当に、他愛のない話を。
 天気がどうだ、ご飯がどうだ……
 余りにも普通過ぎて、時々忘れそうになるが。
 そんな何気ない時間が、何よりも貴重な一瞬一瞬で。
 愛しい、と、柄にもなく、思うのだ。
 モクバと過ごすのとはまた違った、大切で、そして優しい時間。



 病院へ見舞に来る事は、殆ど日課になっていた。
 俺は。
 何度、笑顔にしてやれるだろう?
 何度、こいつに白葡萄を食わせてやれるのだろう?
 何度…会えるのだろうか。
 目には見えないけれど、終わりの日は確実に、刻一刻と迫っている。
 翳りなど、殆ど見えないのに。
 まるで全てが嘘かのようなのに。
 どうやったら、こいつを救ってやれるのだろう。
 できない事を解った上で、何度も浮かび上がる問い。
 何度も、何度も…
 できる事があるのなら、何でもしてやりたい。
 だが、何もできない。
 何てざまだ、と、思う。
 この、俺が。
 もどかしさ。不甲斐なさ。焦燥感。
 そんなものに…
 心を煩わされるなんて……

 それでも。
 手放せない。諦められない。離れられない。
 傍に…いたい。
 残りが。どれだけなのか、解らなくても。
 最後の瞬間まで、一秒でも、長く…

「――」
 声を、掛けると。
 首を傾げながら、ふわりと、微笑んだ。
「どうしたの?海場くん」
「いや…」
 言葉に詰まる。
 俺は、何を言おうとしたのだろう?
 考えても、口の中に浮かんでいた言葉は、とうに消えていて。
 言うべき言葉を見失った唇が、居心地悪そうに口籠るだけ。
 そんなオレの態度に、少しだけ不思議そうにしながらも。
 また、白葡萄を食べ始めた。
 嬉しそうに。美味しそうに。
「…貴様は今、幸せか…?」
 思わず口にしてから、馬鹿な事を、と、後悔する。
 が、予想に反して、一瞬だけ驚いた顔を見せたものの、すぐに笑顔になった。
「勿論!」
 それは、どこまで本当なのだろう?
 だが、裏など微塵も感じなくて。
 どんな宝石よりも、眩しく、大切で、貴重に、思うのだ。

 願わくば。
 この時間が、一秒でも長く、続くよう……