赤き月の夜は〜飛影〜

 変な事をしている、と思っていた。
 繰り返される、夜の営み。
 約束しているわけでもないのに、俺は。
 気がつくとここに来ている。



 窓を見上げて、俺は。
  しばらく考え込んでいた。
 10月に入り、急に冷たくなった風が、体を冷やしていく。
「チッ!」
 軽く、舌打ちする。
 らしくもない……
 何を迷う事があるというのか。俺は、いつだって自分の心に忠実に生きてきたのだ。
 そして、迷う必要はなかったはず。
 俺の行動理由を占めるのは気紛れ…そう、気紛れだ。自分が、自らの意思によって動くのに、何の躊躇いを覚える必要がある?あるはずは、ない。
 窓を、見やる。気のせいか漂ってくる薔薇の薫りが、まるで誘っているようだった。
 それがまた、苛立たせる。
 誘われて行くのではない。自分の意思で行くのだ。
 そう、言いきかせてみたものの、その言葉の何と不確かな事か。
 見上げると、赤き月。それを見て、覚える影があった。
 ふっ、と、笑う。
 別に…どうでもよくはないか?誘われて行くも…自分の意思で行くも、最終的には自らの選んだ選択肢になるのだから。
 フウ、と、ため息を一つ、洩らして。
 見上げる…窓を。
 行く、か。薔薇の薫りを捕らえに。



いつものように鍵のかけられていない窓から、するりと部屋に入り込んだ。
 薔薇の薫りが、たち込めている。
 …侵食されそうだ。
 けれど、感じる感情は…決して不快なだけではなかった。
「…ん?」
 少し離れたところにあるベッドの上で、動く気配。
 どうやら、敏感にも自分の気配を感じ取り、目を覚ましたらしい。
「相変わらず、勘がいいな」
 驚きにか、ガバッと、それは起きあがった。
「起こす手間が省ける」
 言い放ち、くつくつと笑う。
「飛影!」
 よほど驚いたのか、声が高い。
「いつの間に来てたんですか?ああ、そんなとこにいないでこっちに来たらどうです?風邪を引きますよ」
 矢継ぎ早に、蔵馬が言う。必死といった感じの蔵馬が、面白かった。
「外は寒かったでしょう?今、何か入れますね。何がいいです?コーヒーに紅茶に…ああ、ハーブティーのいいのも入りましたが」
 窓を閉めつつ、言い続ける蔵馬に、くすりと笑った。
「そんなものはいらん」
 ハーブティーだろうと何だろうと、いらなかった。和やかにお茶会を開くために来たわけではないのだから。
「え?」
「お前が温めてくれればいい」
 蔵馬の体は本当に、この冷え切った体を温めてくれそうだった。
 その思いの根拠となる物は、知らないけれど。
 押し倒す…蔵馬を。その胸が、温かい。心臓がドクドクと早くなっているのが、わかる。
「ちょっ…」
 蔵馬が、止めるような言葉を紡ぐ…が、本気で抵抗する気はないらしい。その手にあまり力は入っていなかった。そして、蔵馬がそうである以上、別段止めるつもりもなかった。別に抵抗されたからといって止めるつもりもなかったが。
「飛…」
 まだ何か言おうとしている唇を、自らのそれで、塞ぐ。
 一時の後(のち)、唇を離し…そして蔵馬の目のまわりにあるものに気付いて、薄く笑った。
「涙の跡がある…淋しかったのか?」
 答えは期待せずに、続ける。
「今夜は、月がいい色をしている。さぞかし、いい夢を見れたことだろう?」
 自分にとって、赤い月がいい夢をもたらしはしないから、そう言っただけだった。真実、そう思ったわけではない。
 蔵馬が傷付いたような光を瞳に、載せる。
 ふっと、笑う。
「俺が、欲しいだろう?蔵馬」
 問いを放った瞬間、何故か軽い恐怖にも似た感情を覚えた。
 何故だ?
 俺が恐怖を感じて、いる?
 そんなバカな、と思う…だが、この不安は?
 …蔵馬は何も答えない。
 苛立ちを、覚える。
 嫌がっている感じは、しない。蔵馬のところに来たのはこれが初めてではない。そして、蔵馬は一度だって拒んだ事は無かった。
 始まりがどうであったのか、きっかけが何であったのか、とうに覚えてはいないが…それでも。蔵馬は、誘われるままに、自分を受け入れていた。
 なのに今、答えない。それは。
 どうでもよい、という事なのだろうか。
 思った瞬間、胸に微かな痛み。
 …何だ?
 疑問を打ち消すようにして、薔薇の薫りが忍び寄る。
 動かぬ自分を疑問に思ったか、顔を覗き込んだ蔵馬と、目が合った。
 それを見た瞬間、全てはどうでもよく思えた。
 そうだ。こいつは、拒んではいない。嫌なら、拒めばいいだけの事…。
 そう考える自分の胸から、痛みは消えてはいなかったけど。
 何故か喉が熱くなり…気付くと、無意識のうちに微笑んでいた。
 どうでもよくはないか?俺は欲しいと思ってほしかったわけではないのだから。
 蔵馬の服を、乱暴に剥ぎ取る。
 そして…全てを消し去るようにして、ただ蔵馬の体だけを感じた。
 何も、入り込む隙はないように、深く、深く…意識のずっと奥までも埋め尽して。
 それでも喉が熱いのは何故だろう?
「ああっ!」
 蔵馬の喘ぎ声が、闇の中、響いた。



「もう、行くの…?」
 後ろから放たれた問いに、振り向く。
「淋しいか?」
 答えず、蔵馬がうつむく。何となく、その顔を上げさせる。金の瞳が、綺麗だった。
 そっと交わす、口付け。
 一時の後に唇を離して、蔵馬の顔を見つめた。すると、蔵馬が視線をそらす。
 少しムッとしていると、蔵馬が問いを放った。
「ねえ…俺のこと、好き?」
 衝撃。思考が正常な働きを失う。
 馬鹿、な…
 ソロリ、と蔵馬に視線を向ける。うつむいた顔は見えず・・・感情は読み取れない。
 …俺は…薔薇に魅せられてきているのではない…
 こいつが面白いから相手にしていたというだけの気紛れのはず…
 薔薇の薫りが、忍び寄る。
 俺、は…
 蔵馬と、目が合う。
 気付いた時には、薄い微笑みを唇に乗せていた。
 大声で笑いたいような感覚。
 不信そうな表情の蔵馬から逃げるようにして。来た時と同じように、窓からその身を闇に躍らせた。
『ねえ…俺のこと、好き?』
 その言葉が。
 うつむいた蔵馬の顔が。
 リピート、している。
 俺は捕らわれてなどいない。
 魅せられているのは俺の方ではない。
 では何故、俺はあいつの元へゆく?
 思うそばから、疑問が湧き上がる。
 訳も無く、笑い出したいような感覚に、襲われる。
 喉が痛みを訴え、目じりのあたりまでもが、熱をおびてくる。
 …熱い。
 体は、寒いというのに。
 震えが来そうなのに、そこだけは、熱いのだ。
「くっ…くくくっ…く…」
 この熱を、冷ましてくれ、誰か。
 この体を、温めてくれ、どうか。
 思う人物はたった一人だけだったけど。
 その名は、心の中ですら、呼べなかった。



 望ンデクダサイ、ドウカ。
 理由ヲ与エテクダサイ、ドウカ。

 …たった2音の単語が、無性に、聞きたい。