お願い

『チョコをくれるまで口をきいてあげませんのでよろしく。 by蔵馬』

2月14日の朝、テーブルの上のそう書かれた紙を見て、飛影は硬直した。
「な、なんだこれは〜〜〜!!!???」
その叫び声を聞いて蔵馬は、物を壊してなければいいんだけどな〜、等と揺れる天井を見て平和な事を考えていた。
「おい蔵馬!これはどういう事だ!」
嵐の如く階段を駆け下りてきた飛影はそう叫んだ。
しかし蔵馬は、相変わらず平和に紅茶などを飲んでいたりする。
どうやら紙に書いてる事は本気らしい。
しかし、飛影がそこで大人しく引き下がれるわけもない。
「おい!」
流石に蔵馬は五月蝿げに目を細め、紙とペンを取った。
そう……筆談である。
『今日は何日ですか?』
「…2月の14、だろ」
『そう、ヴァレンタインですよね。という訳でよろしく』
「ふざけるな!俺はチョコなんぞやらんぞ!」
蔵馬が飛影にちろり、と視線を向ける。
その眼差しは三日月のように鋭く…冷たい。
何となし、ゾッとする物を覚える飛影。
僅かに下がり気味である。
蔵馬はこういう時……かなり、怖いのだ。
蔵馬がカタン、とソーサーをテーブルの上に置き、そしてまだ紅茶の残るカップを置く。
そして、ゆっくりと立ち上がり、飛影に近付いた。
戸惑う飛影。
その顔に蔵馬の顔が近付き……飛影が反射的に、目をギュッと閉じる。
しかし、待っていても何も起こらなかった。
恐る恐る、飛影が目を開ける。
と、蔵馬がニッと笑った。
その表情に、我知らずその次の行動を期待していた事を知り、カァッと飛影の顔が赤くなる。
『チョコくれるまでは、キスもお預けですよ?』
まるで、犬のような言い草だ。
「〜〜〜〜〜っ」
蔵馬を睨みつけるが、当の本人は涼しい顔。
完全に、負けである。
仕方なく、ドアに向う。
言って来る、とは言わないのが、せめてもの反抗。
その歩きかけた先に地図の書かれた紙が降ってくるに至って…飛影はいよいよ顔を険しくさせ、ドアをバン!と荒荒しく閉めて部屋を出ていった。
それを見送り、蔵馬がクスクスと笑う。
「たまにはいいでしょう……?ねえ、飛影」
嬉しそうな声色の中に、ほんの少しだけ淋しさを混ぜて。
飛影のいなくなった部屋で蔵馬が囁いた。


まったくあいつは!
苛立ちを隠そうともせずに、飛影がズンズンと歩いていく。
嫌ならやらなければいいのだが…そうする事が出来ない事も知っていて、それが余計、苛立たせる。
本当に…どうしてあいつは……
こういう事をしたくなるのか。
判らないなら、聞けばいい。
不安なら、言えばいい。
いくらでも安心させてやるものを……
どうしても不安だというのなら、閉じ込めればいいだけの事。
俺が何処にも行かぬよう、自分だけを見るよう……
それすらも出来ないくせに…あいつは……
「ああもう!」
考えるだに、苛立つ。
「飛影?」
突然の声に、ビクッとする。
「どうしたんだ?いきなり叫んだりして」
「ゆ、幽助?いや、何でも……」
キョトンとした表情の、それは紛れもなく幽助だった。
とんだ失態を犯したものだと、舌打ちする。
「お…お前こそどうしたんだ?」
「俺?俺は蛍子と待ち合わせだよ。折角だし、たまにはどっか行こうかってな」
照れたように、幽助がいう。
「…ヴァレンタインってのは、特別な事なのか?」
「んーまあ、単なるイベントの一つだけどな」
「チョコ、貰うとやっぱり嬉しいものなのか?」
「まあ、悪い気はしないな。中にはホワイトデーが大変だって嘆くような、贅沢な奴もいるけどな」
貰えなくて嘆いてるやつもいるのにな、と苦笑交じりに言う。
ちょっと考え込むと、ポンポンと肩を叩かれた。
普段なら怒るところだが、幽助の笑みを見たら、何だか怒る気にはならなかった。
「ま、貰う事自体よりも、くれようとしてくれたって気持ちが嬉しいんじゃないか?そういうもんだと思うぜ」
そうなのだろうか?
つい、と幽助を見上げる。
「あいつにやるんだろ?――頑張れよ!じゃ、そろそろ行くから、またな!」
「な…な…」
思わず、赤面する。
それを見て幽助が、楽しげに笑みをこぼした。
「そうそう、基本はハート型だぜ!ラッピングもちゃんと頼めよ!」
そう言い捨て、走り去る。
後に残されて飛影は、ただ冷たい風に体を冷まさせる。
しばらくそうしていたが、じきに呟いた。
「基本はハート型、か……」
そう言って店を探す飛影は、しっかりとラッピングをどうするか考えているらしかった。


ガチャリ、と。
鍵のかかっていないドアを開けて、家に入る。
蔵馬は、まだリビングにいて、何杯目かも知れない紅茶を飲んでいた。
「蔵馬…ほら」
何となく気恥ずかしくて、それだけを言ってチョコを差し出す。
が、何故か蔵馬は受け取ろうとしない。
「…?」
蔵馬は相変わらず、コクリ、と紅茶を口に注ぐだけである。
「ほら…チョコ、買ってきたぞ」
今度は、蔵馬が視線を向けた。
ただし、チョコにではなく、自分に、である。
視線があう。
つと、と見つめられて、何となく居心地が悪かった。
ハア、と蔵馬が嘆息する。
そして、朝と同じように、サラサラと紙に書き出した。
『それだけなの?』
それを見て、幽助の言葉が甦る。
(貰う事自体よりも、くれようとしてくれたって気持ちが…)
しかし、ヴァレンタインが一般的にどういう日であるか判ってはいても、それを実行するには、いささか性格的に問題があった。
どうする事も出来ずに、立ち尽くす。
『14日が終っちゃうよ?』
ぐ、と詰まる。
顔が火照るのが判る。
隠すように俯いて、近付いた。
そして、そっとキスをする。
「好きだ…蔵馬」
そう言って、改めてチョコを差し出す。
「ほら…プレゼント。今度は、断るなよ?」
耳も何も熱くて…これ以上は限界だと、訴える。
ややあって、今度は蔵馬から口付けた。
飛影のそれとは全然違う、深い口付け。
「ありがとう。飛影。オレも飛影の事、好きだよ」
そう言って、蔵馬は再び口付けた。
想いが伝わるよう、深く…長く……
空で、月が恥ずかしがるように、雲にその身を隠した。

The end.