闇の囚人 後編

5.哀しみ


「蔵馬…食事を持って来たぞ」
答が返る事はないけれど。
優しく言って、蔵馬を起こす。
何度繰り返しただろう。
変わり映えのしない、光景。
心が冷えて行くのが判る。
現実味のない世界。
目の前にある物全てが…遠い。
いつかこの心が完全に凍りついて。
蔵馬と同じようになるのだろうか?
美しく儚い、この人形のように。
それもいいかもしれない。
もう傷付け合う事もなく。
静かに並んで座って。
同じ空を見ていたい。

風の音が聞こえる。
木霊して響くそれは、まるで泣き声のよう。
あれは、身体を失った者達の嘆きだろうか。
くすり、と笑う。
体を失った心と、心を失った体と。
一体、どっちが……
哀しいんだろうね。
「なあ、蔵馬……」
お前は。
そこまでして、何を守りたかったのか。
お前には、もう何もないだろう?
手放された心は。
何を…望んでいたのか。


静カナ静カナ ソノ大地
哀シイ哀シイ ソノ魂
虚ロナ虚ロナ ソノ世界
哀レナ哀レナ ソノ心

哀しいが哀しいを呼ぶ
哀しいが哀しい人を呼び
哀しい人が哀しい心を呼んで
哀しい心がまた哀しいを呼ぶ
哀しい哀しいそのループ……

何もそこにはある必要は――ない。
ただ、お前と…俺が、いれば。





6.魔、襲来


ピクリ、と。
意識するよりも早く体が反応する。
意識を研ぎ澄ます…足音が聞こえる。
これは……
しくじった、と思った。
もっと早くに気付いてしかるべきだったのだ、自分は。
刀を抜き、前に出る。気配を殺して。
慣れた刀が――やけに重く感じられた。

 …っ!

突然降ってきた衝撃に、反射的に後ろに下がる。
感が鈍っているらしかった、不意を撃たれるとは。

「ハァッ!」
斬り込む。普段なら相手は一瞬で肉片に変わるところ。
けれど。
「ぐっ!」
傷を負ったのは、自分の方。
腕に力が入らない。
焦る心の中で、妙に冷静な意識が最近食事を取っていなかった事を思い出した。
「蔵馬に飛影…こんなところにいるとは…運がいい……」
敵が下卑た声でいう。
舌打ちしたくなった。
上手く自分に引き付けて蔵馬から離そうかとも思ったが、相手が自分たちの事を知っているとなると、自分が蔵馬から離れたその瞬間にでも、敵は真っ先に蔵馬を襲いに行く事だろうから。

相手の鎌のような腕を剣で受けとめる。
力では、適わない。
けれど、この状況では……
ちらり、と蔵馬に視線だけを向ける。
「蔵馬!」
答の望めぬ相手に向って、それでも叫ばずにはいられなかった。
「蔵馬ぁぁぁ!!!」
せめて…願う意識が、朱に染められた。


「蔵馬!」
悲鳴にも近い声が、遠くで聞こえた。
おまえは、だれ?
とても懐かしくて優しい声……
おまえは、なに?
尋ねる。姿の見えぬ相手に。
答はなく、替わりに耳の中、霧に覆われた遠い記憶の中の声が反芻する。
(お前の事が好きだ)
  (一緒にいてくれ)
    (俺はお前以外に望んだものはない)
あ…?
様々な声が重なり、押し寄せ、混乱する。
(逃げないでくれ!蔵馬)
逃げる…俺が?何故?
蔵馬……慣れた響きの音……
頭が…痛い……
何かが見えそうで…けれど思うと頭痛がする。
俺は……?
ぐ、ぅ……
頭を抱える。
「蔵馬ぁぁぁ!!!」
また、声が聞こえる。
シャボン玉のように次々に弾けて消える声とは違う声。
耳の中反芻それよりずっと遠くで…けれどはっきりと聞こえるそれ。
「逃げろ!蔵馬!!!」
逃げろ…?
逃げるなと言ったお前が?
何なのだろう……この声は。何を言いたいのか。
…怖い。何かが。考える事を拒んでいる、自分は。何故?
「ひえいは…こわい」
口にして驚く。
震えが押し寄せ…自らの体を抱きしめる。
ひ、え、い?
知っているその響き……
大きな、シャボン玉が。
胸の中、弾けた。
霧がかった記憶が、映像を、色を、音を伴って……
次々に脳裏に浮かぶ。
「あ…ぁ?」
ヒエイひえい飛影……
 コワイこわい怖い……
意識を手放したくなる。
けれど、何かがそれを許さない。
開きかけた蕾は。
あとは咲き綻ぶのみ。
ただ、その瞬間を待っているのだ――刹那の瞬間の、とても小さくて…けれどとても大事なキッカケを。
極限まで振り絞られた弓のような状態で。
「ぐ…あぁ!」
「飛影!!!」
悲鳴に、反射的に叫ぶ。
そして……
世界が現れる。
薄暗く、けれど確かに色彩を伴った岩肌、そして――
朱に染まった飛影と、異形のもの。
戦慄を覚える。
恐怖に心が凍えそうになる。
飛影が怖いのではない。
朱に染まった飛影に恐怖を覚えたわけではない。
飛影を傷付けた妖怪が怖いのでもない。
それは――
今、気付いた。
俺が本当に怖かったのは。
飛影を失う、コト――
罪を犯すのが怖かったのではない、罰を受けるのが怖かったのだ。
気付いてみれば、何と愚かな事か。
そしてその愚かしさが……飛影を傷付けたのだ。
「飛影〜〜〜!!!!!」
無意識の内に。力を振るう。
それと同時に、意識は再び闇に呑まれた。


地に放り出されて。
見えたのは蔓に胸を貫かれて命を絶たれた妖怪の末期。
では、やはりあれは幻ではなかったのかと思う。
あの時……意識を失いかけた時に聞こえた、蔵馬の俺を呼ぶ声。
そしてハッと気付き、痛みを堪えて蔵馬に駆け寄る。
その体を抱き上げると。微かに心臓の鼓動が聞こえた。
「蔵馬……!」
ギュッと強く抱きしめる。
目を閉じ、天を仰ぐ。
生まれてこの方、呪いはしても感謝する事などなかった神に。
今初めて、感謝の念を捧げたのだった。

神よ……
どうか俺から蔵馬を奪わないでください。
そしてどうか――
これ以上蔵馬が傷つかずにすむように、してください。
聞いてるとも思えない神に。
そう、願わずにはいられなかった。





7.静かに花開き


目を開けると。
目の前に飛影の顔があった。
心配そうなその表情……
「泣いて…いるの?」
無意識の内に、声が口をついてでた。
その言葉に飛影の顔が歪む。
そっと手を伸ばしその頬に当てると、飛影がその上に手を重ねた。
僅かに震えたそれは…とても温かかった。
「……し…よ」
「え?」
問い返す。と飛影の顔が笑みを乗せた。
泣きそうなままで。
「嬉しいんだ…蔵馬が無事で」
ああ、と呟く。
お前は喜んでくれるのか。
俺のために…俺のせいで命を落としかけたのに。
それでもお前は……
「俺も…嬉しいよ。飛影が無事で」
本心からの言葉。
飛影を失ったら今度こそ、俺の意識はここには在れないだろう。
飛影に抱きしめられる。
痛い程の力が…嬉しかった。
「ここ、は?」
洞窟らしい事は判ったが、そんなところにいる理由が判らなかった。
「魔界の洞窟だ。…蔵馬が気を失っていたから家には置いて置けなくて…連れてきた」
幾分嘘の混じってそうな言葉に、そう、とだけ答える。
飛影が嘘をつくとしたら…それは多分自分のためであろうから。
「母さん…心配してるだろな」
ふと思いついて言った言葉に、ビクリ、と一瞬飛影が震えるのが判った。
「連れて来て…悪かったか?」
どう答えたものかと、少し悩む。
ややあって、ゆっくりと口を開いた。
「あの時…飛影の声が聞こえた。目が覚めて飛影を見た時、怖かった。飛影が死ぬかもしれないと思ったら、凄く、怖くて……」
飛影と向き合い、微笑む。
「帰りたくないって言ったら、嘘になる。でも今は…もう少し一緒にいたい」
「蔵馬…!」
飛影の力強い抱擁に、少なからぬ幸せを感じていた。
「俺は、蔵馬が怖かった。蔵馬を失うのが…何よりも、怖かった」
それは、紛れもなく本心なのだろう……少しだけ、罪悪感を感じる。
「俺は蔵馬が好きだ。蔵馬が欲しいし、『もう少し』じゃなく、ずっと一緒にいたい。蔵馬は…そう思ってはくれないか?」
「俺も…飛影が好き。飛影が欲しいし、ずっと一緒にいたいよ」
にっこりと笑って、はっきりと言う。
今まで怖くて言えなかった言葉、それを。
飛影の優しい口付けが、そっと降ってきた。
「抱いても…いいか?」
その言葉に、クスリと笑う。
「何か…聞くのってマヌケ」
クスクスと、笑って。
妙に、可笑しかったのだ。
幸せな時、人は妙に笑いたくなるのかもしれない。
「いいよ…飛影になら」
呟くようにゆっくりと言うと、地面に優しく降ろされた。
服を脱がせる動作が、やけに緩慢に感じられた。
「あっ……」
降りてきた口付けに、声を洩らす。
「飛影…!」
愛しいその名を、呼ぶ。
官能の波に飲まれそうな中、確かに己を主張する場所を感じ取っていた。
この胸と、そして、この身体の中心と。
身体の中心に口付けられて、身体がビクリと戦慄く。
「ああっ!」
燃えるような熱さが身を襲う。
それが飛影の舌によるものだとは疑うべくもなかった。
「ひ…あっ!」
熱を解き放ち、乱れた呼吸を数える。
羞恥に手を顔に当てた。
「挿れる、ぞ…?」
その意味を一瞬遅れて理解した途端、激痛に襲われた。
「あ・…あー!」
例えようのない程の衝撃に、身体が悲鳴を上げる。
「辛い、か…?」
飛影の心配そうな声に、大丈夫、と答えようとするが、口を空けて真っ先に出てきそうなのは悲鳴だった。
変わりに、必死で飛影を見つめる。
続けて、という意を瞳に宿して。
飛影がゆっくりと動き出す。
痛みの中で、別の感覚が湧き上がるのを感じていた。
それは、快楽というもの…愛しい者の手によって与えられる、至福のそれ。
もっと、と願う。
もっと深く、もっと激しく、貴方を感じさせてくれ。
器が違う。
魂レベルでの交わりも不可能。
けれど。
今この瞬間は共に……
「いっ…ああああっ!!!」
思いと共に意識を解放し、闇に呑まれた。


スゥ、っと。
視界が広がる。
真っ先に目に入ったのは、飛影の顔。
「おはよう、飛影」
にっこりと笑って、いう。
「おはよう…と言っても夜だがな」
その言葉に、クスリと笑う。
「起きれるか?」
「うん」
飛影に手を貸してもらい、起きあがる。
情事の名残の痛みが、僅かに主張する。
「疲れてるのに無理させて悪かったな」
「疲れてたのは、貴方もでしょう?オレは、大丈夫ですから」
言うと信用してない顔で、それでも飛影は用意してくれていた食事を差し出した。
「ほら。食べさせてやる」
「いいよ」
言って無理矢理器を受け取るが、思うように指に力が入らず、それは一瞬の後に地に落ちた。
「ほら、やっぱり無理だ」
そう言って再び食べさせようとするが…はっきり言って恥ずかしい以外の何ものでもない。
「嫌だというなら片付けるぞ? 作り直すのも面倒だ」
そうまで言われては、仕方がない。大人しく、降参する。
飛影の用意してくれた食事は…まぁ味は置いておくとして、飛影が作ってくれたというだけで価値があった。
「これから…どうする?」
食事を終えて、飛影が尋ねる。
声音には幾分不安が混じっていた。
「そうだね…駆け落ちでもしてみる?」
「駆け落ち!?」
「冗談だよ。そうだね、とりあえずは家に帰らなきゃ」
家と言った事で僅かに飛影の瞳に翳りが走る。
気付かないフリをして、続ける。
「その後は、一緒に暮らそうか?」
「いいの、か?」
「もちろん。貴方のいないところへ、帰る気にはなれないよ」
答えると、飛影に抱きしめられた。
幸せ、なのだろう、自分は。
そしてまた飛影も。
ようやっと手に入れたそれに抱き留められて。
そっと、目を閉じた。



「ただいま、母さん」
数日振りに帰ってきた家は、とても懐かしく…そして僅かに切なく感じられた。
「秀一!?」
母さんが、驚きに息を飲む。
余程心配していたのだろう、憔悴の色が濃かった。
「今まで何処に行ってたの?何も言わずにでていくから……」
その目に雫が溜まる。
申し訳ないと思った。
けれど……。
大事に思わない訳ではないけれど、それよりも大事なものを知ってしまったから。
「ゴメン、母さん……」
口調に何かを感じ取ったか、母さんが探るような顔になる。
「あのね。オレは出会ってしまったんだ、この世で一番大切な人に。オレはその人の側にいたいと思う。けどその人はとても遠い所にいるから……」
唇を噛み、そして顔をあげ、真っ直ぐに母さんの目を見据える。
それが、せめてもの――
「オレはその人の所に行きたいと思うんだ」
はっきりと、いう。
告げると母さんも真剣な表情で受けとめてくれた。
「そう…貴方がそう決めたなら母さん何も言わないわ。でもね、一つだけ聞かせて。秀一は、その人といて幸せなのね?」
にっこりと、微笑む。今でで最高のそれを。
それが、何よりの答えとして。
「時々でいいから、連絡くらいしなさいよ?電話でも手紙でもいいから」
「うん、約束するよ」
答えて、立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「もう行くの?せめて今日くらいは…」
「ゴメンね。でもその人も忙しいし…それに、いつまでもここにいたら、辛くなっちゃうから……」
「そう……」
一緒に、玄関に向う。
荷物は、ない。服くらいは持っていったらと勧められたが、まとめきれるものではないし、本当に大切なものだけ持っていくとしたら…あそこには持っていくべきものは何もないのだ。大切なものの基準が違いすぎると自覚してはいたが。
「じゃあ、またね」
そう軽く言って去ろうとしたが……
予想以上に『母さん』の存在は大きかったと知って、表面には出さず苦笑する。
「母さん。オレは行くけど……この家も母さんも嫌いなわけじゃないから。ただ……」
「判ってるつもりよ。こっちの事は何も心配しなくていいからね?」
「うん。…母さんは、オレの自慢の…大切な母さんだよ」
「いやねえ。照れるじゃないの」
言われて、苦笑する。
と、母さんの表情がふわりと優しくなる。
「貴方も…私の自慢の息子よ。いきなり出て行くような薄情な息子だけど、ね」
わざとおどけたように、母さんがいう。
けれど口調に宿る優しさは隠しようもなくて……
愛しいと、思った。
もちろん、飛影に対するものとは全然違うけど…今までは母さんは守る対象だったけど、オレもまた母さんに守られていたんだ、と自覚する。
「それじゃあ」
挨拶を軽くすませる。
仰々しい挨拶を言った所で、きっと何も本当に大切な言葉は伝わらない。

降り返る事もなしに、外へ出る。
母さんもそれ以上は何も言わずに黙って送り出してくれた。
彼女なりの優しさなのだろう、それは。
そしてそれが何よりも、嬉しかった。
淋しさは、拭えない。
たった数年、一緒に過ごしただけの…けれどとても大切な……
それまでの気の遠くなるような長い時間を併せたより。きっとずっと濃い時間がそこには詰まっている。
『家』、それは単なる器でしかない。
けれど器がなければ何も留めれぬのも事実。
母さんを、母さんと過ごした時間を、少しだけ辛くて、けれど愛しい記憶を抱いた家を。
オレは出て行く。
捨てるのではない。
ただ…ヒトはいつしか1度離れるべきなのだ、そこから。
オレにとってそれが今であったというだけの事。
淋しくないわけではない。
けれどこれが永遠の別れではないから……
さようなら、と呟く。
愛しい人、愛しい時間、愛しい場所……
またね。
いつかまた来る日もあるかもしれない。
その時は、どうか受けとめてくれ。
そっと、願った。


「飛影!」
愛しいその名を、呼ぶ。
彼がいるなら、大丈夫なのだろう。
失ったモノ以上のモノを与えてくれると、理由もなく信じられる。
「別れはすんだのか」
「ええ」
答えて、ゆっくりと一緒に歩き出す。
急ぐ必要はない。時間はたくさんあるのだ。
「さぁ、何処に行こうか?」
何処にだって行ける、自分たちは。
背に羽はないけれど。
「とりあえずは新婚旅行にでも行きたいね」
おどけて、言う。
「新婚旅行?」
「ええ…まぁ、俺達みたいなのが一緒に行く最初の旅行とでも思っててください」
多少違うのだが、簡単に説明する。
「魔界1週なんてどうだ?」
「それは…とても危険な新婚旅行になりそうだね」
「刺激のない生活なんぞつまらんぞ?」
「好奇心は猫をも殺すって知ってます?オレといるだけじゃあ刺激はたりませんかねえ……」
「……」
クスリ、と笑う。
「いいですよ、それでも。飛影と一緒なら、何処でも」
微笑み、歩き続ける。

一緒に行こう、飛影。
この道は。
何処へでも続いているのだ。

限りない未来へ向って――