small sin

ずっと、あたしは。
幽助が好きなんだと思っていた。
最初会った時は、酷い不良、としか思ってはいなかった。
それが、付き合ってるうちに、色々な面が見えてきて――

少しづつあたしは幽助に惹かれて、いた……。

蛍子ちゃんと憎まれ口を叩きながらも、けれど楽しそうに話しているのを見ると、微かに胸が痛んだ。
それは幽助に惹かれているからなんだろうと、そう思って。
平常を装って二人に接していた。
別に割り込むつもりはなかったし、そんな日常がずっと続くと、そう思ってた。
あの日までは……





ハア……
そっと、嘆息を洩らす。
日を追うごとに、溜息の数は増える気がする。
そしてその事にすら、溜息をつきたくなるのだ。
「どうしたぼたん、溜息なんぞつきおって」
「コエンマ様……」
「最近はずっと塞ぎ込んでおるじゃろ、心配で夜も寝られん」
「すみませんねえ」
苦笑して答える。
「まったく、このワシを降り回せるとは、お前くらいじゃよ」
そっとコエンマが近寄り、ぼたんの肩に手をかける。
「一体、どうしたというのじゃ?ぼたん」
「いえね、心ってのはままならないものだなあ、と」
「それはそうじゃろ。心とはままならぬ物と決っておる。だが感情なくして、ヒトはヒトたりえん。真に不条理な物じゃな」
「ええ、ほんとに……」
ぼたんの瞳が翳る。
いや、ずっとそうではあったのだ、ただそれをひた隠しに隠していただけの事。
「それが塞ぎ込んでおる理由か?」
「ええ、まあ」
ぼたんが苦笑する。
コエンマはそっと外に目を向けて呟いた。
「お互い…報われぬ想いは辛いな」
誰に、とは聞かなかった、二人とも。
ぼたんはコエンマが自分を想ってくれている事に気付きながらも、それを表に出す事はしなかった。
コエンマも、その事に気付きながらも敢えて口には出さなかった――ぼたんが誰を想っているか知っていたから。
二人は無言のまま、しばらく時を過ごした。
穏やかにして緩やかな時が、そこにはあった。
修羅場にすらなりえた想いの交錯は、けれど不思議な均衡を保っていたので、あった……。





(あ、蛍子ちゃんだ)
気分転換に空の散歩でもと、散策中。
学校帰りであろう、蛍子らの姿を認めて、何とはなしに目を向けた。
幽助の姿は、ない。
蛍子は、友人と楽し気に談笑していた。
(随分と楽しそうだねえ)
蛍子ちゃんのそんな顔を見るのは、初めての事だった。
当然と言えば当然だが、誤解とは言え初めの印象が悪かったため、1度として笑みなど見せてくれた事はなかったのだから。
(その前は幽助死んでたしねえ)
仕方ない事だけど。
少女らの会話は、尽きる事がない。
と、友人が何か面白い事を言ったのだろう、蛍子が腹を抑えて笑い出した。
それを見ていて、ぼたんは。
ズキリと、胸に微かな痛みが降りるのを、覚えた。
それは、湖面に降りた1滴の水のように、緩く波紋をうって広がり、そして全身に溶け込んだ。
「…っ」
口元を、手で抑える。
(バカな)
必死で、否定する。けれど。
どんなに否定しようとしても、想いの欠片は、その形を織り成し始めていた。
「……!」
オールを翻して、その場から走り去る。
背を背けても、蛍子の笑みは、脳裏一杯に広がって、いた――。

 幽助じゃ、ない。

あたしが好きなのは。
幽助では、なくて……。

自分には決して見せてくれぬ笑みを、友人らに惜しげもなく向けていた蛍子を見た時の、感情を。
ぼたんは否定できずに、ただ走り続けるしか、なかった。





(どうしよう……)
そっと溜息を、洩らす。
溜息は夜の梢のざわめきのようだと、思った。
「また…塞ぎ込んでおるのか」
「コエンマ、様…」
「あまりその様な顔をしてると…何処ぞのうつけが惑わされるぞ」
ぼたんは何も答えずに、ただ苦笑した。
「ねえ、コエンマ様…全てのヒトが幸せであったなら、いいでしょうにねえ」
「そうじゃな…だが、ヒトがヒトである以上…欲がある以上、無理であろう。それに、全て幸せであったなら、幸自体見失いかねん」
「何故、ヒトはヒトを愛するのでしょうねえ?」
「きっと…淋しいからじゃよ」
では貴方も淋しいのですか?
そして私も淋しいのですか?
思いは言葉にはならず、胸の内、泡と消えた。





言う気はなかった、一生。
蛍子ちゃんに想いを告げて?
その後どうしようと言うのか。
幽助らの繋がりは、決して弱いものではなかったし。
それに、蛍子ちゃんを困らせる事は本位ではなかったから。

そうして、時を過ごしていた時、とびこんできた、知らせ。
『皿屋敷中に魔界虫に操られた人々が集まっている』

心が、一瞬凍り付いたかのような錯覚を覚えた。
コエンマに言われるまでもなく、ぼたんは学校へと向かっていた。

(蛍子ちゃんは、あたしが守る…!)
幽助は今いないのだから。

そうして、一緒に戦って……
不思議な高揚感と連帯感を、覚えていた。
不謹慎だとは思ったが、一緒にいて、そうして行動する、それが嬉しかったのだった。
あの瞬間、確かにあたし達は誰よりも近いところにいたと思ったのに。
敵に囲まれて、遠のく意識の中聞こえたのは。

『幽助ー! 助けてーーー!!』

ああ、と小さく呟いた。
ダメなのだ、私では。
蛍子ちゃんが幽助に助けを求めるたは、当然の事。
だけど…


言う気はなかったのだ、一生。
けれど。
蛍子ちゃんは…いつ狙われても、何度狙われても、おかしくはないのだ。
そして毎回無事でいられるという保証も、ない。
だから。
言わなくては。





「蛍子ちゃん」
「ぼたんさん!?」
「ちょっと話があって…」
言って、蛍子ちゃんの連れに、ちらりと視線を向ける。
「ごめん、ちょっと借りるね」
「あ、あのっ」
困惑を無視して、蛍子ちゃんの腕を取ると近くの路地裏へと駆け込んだ。
「あの…話って?」
走って乱れた呼吸と共に気持ちを落ち付かせると、あたしは意を決して蛍子ちゃんの目をまっすぐに、見た。
「蛍子ちゃん」
取る…その腕を。そして引き寄せて……
蛍子ちゃんの唇を、奪った。
時がその流れを止めて…永遠にも等しい一瞬が、そこに横たわる。
唇を重ねただけの、軽いキス。
感慨は、ない。
思考はその働きを放棄している。
息が止まる。
この想いごと、時を閉じ込められたなら……

近くを通りかかった車の、どこか遠く響くクラクションに、現にゆっくりと引き戻される。
あたしは、ゆっくりと唇を離した。

「好きだよ、蛍子ちゃん」
言い捨てると、あたしは走ってその場を去った。


「あれ? えーと、ぼたんさん?」
路地裏から出てきた時に、蛍子ちゃんの連れの二人が声をかけてきた。
でもそれに答えてる余裕はなかった。
二人は不思議そうに顔を見合わせると、路地裏へと向かった。

「蛍子ー?」
蛍子は。それには気付かずに、呆然と立ち尽くして、いた。
その手がノロノロと動き出し、自らの唇を、なぞる。
「ぼたん、さん……」
呟きは、二人にも…そして自分自身にすら届かずに、ただ闇へと、消えた。


『好きだよ、蛍子ちゃん』
ただその響きだけが、意味もなく耳の中反芻していた。