永遠の夜の中で

「あうっ!」
 鋭く声が闇を裂く。
 それは余韻を残さない、声が途絶えれば本当に声が上がったのかも疑わしくなる声だった。
 けれど身体に残された傷は、本当。
「辛い?飛影」
 気遣う響きではなく、蔵馬が囁く。
 その瞳には、昏い光。狂気も残酷さも、孕んではいない…けれどそれは確かに闇に属する者の瞳であった。
「まさ、か……」
 飛影が、否定の言葉を口にする。流石に意思は強靭だ。
「そうだよね、これは飛影が望んだことだものね」
「それはお前もだろう?」
 二人共に望み、行動に移した。
 より深い愛の具現として、この一種異常な行動を選んだのだ。
 朱が舞うたび、この闇の深さを思うたび、愛がより確かなものに思える。
 それを人は狂ってるというのだろうか?
「無駄口を叩いてる暇は無いよ?そら、もうじき夜が明ける」
 それは、終わりの合図。
 蔵馬が遠ざかる時。
 飛影は請うるような瞳を、蔵馬に向けた。
 ニ、と蔵馬が笑む。
 一際強く、鞭がしなった。
「……っっっ!!!」
 あまりの痛みに、声すら紡げぬまま、飛影は叫んだ。
 身体が小さく痙攣する。
 蔵馬は構わず、飛影の髪を掴んで自分の方を仰ぎ見させた。
「あ……」
 重ねられる唇を、飛影は微かな喜びを持って迎えた。
 けれど舌を絡ませる余裕は無く、そのまま意識を手放す。
 それに蔵馬は気付いて、少しだけ優しく抱きしめた。
 行為は終わったのだ、気を失った相手にまで苦痛を強いるのは不本意。
 そっと蔵馬は囁いた。
「おやすみ、飛影」
 そっと飛影の額にキスをする。
 飛影が起きてる間は飛影のそれを奪う権利がある、けれど眠ってる間は、それは飛影のものだ。
 蔵馬は無理矢理を嫌う、例え飛影が構わなくても蔵馬は自身に許さなかった。
 だから、飛影が眠ってる間は唇は額に役を譲るしかなかったのだった。
 視界の端では、微かに朱金の光。
 夜が、明けようとしていた。
 睡魔が、襲ってくる。優しく、けれど強制的に。
 蔵馬は飛影を抱きとめたまま、ゆるりとそれを迎え入れた。

 夜にしか生きれない、哀れな獣……
 けれど蔵馬たちは満足していた、その現状に。
 蔵馬は飛影を傷付ける事で愛を確認し、飛影もまた蔵馬に傷つけられる事で愛を確認する。
 それもまた、一つの愛の形ではあろう。
 愛。それは、彼らにとって与えられた事のないものだった。
 飛影の始まりにも蔵馬の始まりにも、無条件に与えられるべき親の愛というものはなかった。
 愛された事の無い者は、愛せぬものである。
 それでも彼らは、不器用なりに相手を愛そうとした。初めての感情に戸惑いながらも……
 覚えのない感情であるのだから、不安や戸惑いを覚えるのも道理である。
 本当に自分は相手を好きなのか、相手は自分を好きなのか、自分から離れたりはしないか……あげればきりがない。
 人は、だから相手を試そうとする。
 愛を確認するために。
 蔵馬と飛影に取って、それがこの行為であった。
 それは一般に言われるSMと似ている。
 違うのは、二人に「楽しむために行為をする」というのが欠けている点だけである。
 サディスト、それは相手を傷つけることを好む者の事である。
 サディストは「相手が自分のために傷を許す」という事に喜ぶと同時に、内面において「想い人の苦しむ姿に傷つく自分の姿に酔う」という、潜在的M性も有する。
 前者においては「相手が傷を許すのは自分を愛してるからだ」となり、後者は「自分が傷つくのは相手を好きだからだ」という事になる。
 マゾヒストは、逆に相手に傷つけられる事を好む者の事である。
 マゾヒストは「自分が相手のために傷を許す」という自分の姿に酔うと同時に、内面において「自分の苦しむ姿に相手が苦しむ事を喜ぶ」という、潜在的S性も有する。
前者においては「自分が傷を許すのは相手を愛してるからだ」となり、後者は「相手が傷つくのは自分を好きだからだ」という事になる。
 傷つける相手が自分に向かうか相手に向かうかの差こそあれ、「相手を介して愛を確認する」事に変わりは無い。
 彼らにとってそれは純粋な愛情表現であると同時に愛情確認なのである。

 目覚めるのは、いつも夜。
 だって、夜にしか生きれないから。
「おはよう、飛影」
 この夜の支配者が、美しく笑む。
「今日もたっぷりと可愛がってあげるよ」
「ああ……」
 漏れた声は溜息か吐息か。
 その言葉だけで、身体が反応してしまう。
 傷が疼き、身体が熱を帯びる。
 もっと高みへ連れてって。
 熱の奔流に巻き込まれ、竜に抱かれる。
 そう、その胸を…腕を……赤い河は流れそして連なり、炎を呼ぶ。
 どうだ?蔵馬。
 俺はここまでできるんだぞ、お前のために。
 だからもっと高みへ連れてって。
 アクセルを踏み込んで…夜を駆け抜けて……
 途中でブレーキを踏みたくなっても、決して踏まないで。
 危険も潜む楽園に二人今沈み込んで。
「どうしたの?随分濡れてるじゃない」
「…お前とだからに、決まってるだろう!」
「ふうん?それだけ?」
 チロリ、と蔵馬がまだ新しい傷を舐め、飛影の身体はビクリと強張った。
 肌を舐めるようにではなく、傷口に舌を差し込むようにして、丹念に舐める。
 それは酷く鋭いと同時に、ジリジリと響く鈍い痛みだった。
 クスリ、と蔵馬が笑む。
「毎日されてるくせに慣れないんだね、この身体は」
「…それだけお前が美味いって事だろうな」
 挑むように飛影は言った。
「それは誉め言葉と受け取っていいのかな?」
「取って嬉しいのなら勝手にしろ」
 蔵馬が笑って、また飛影に痛みを与える。
 毒々しい花が飛影を彩る、けれどそれは闇に属する故の美しさを有していた。
 飛影は痛みの中で、微かにうっとりとした笑みを這わせた。
「嬉しいの?飛影」
 恍惚にも似た表情で、蔵馬が囁く。
 飛影は失いかける自我の中で、コクコクと浅く何度も頷いた。
「ねだってごらん、飛影」
「もっ、と……」
 蔵馬が飛影の肌を裂きながら、唇を奪う。
 差し込まれた舌は無遠慮に飛影の中を掻き乱し、唾液は糸を引く。
「う…あ……」
 息苦しい、けれど離したくは無い、離れない。
 もっと感じたい、もっと狂いたい。
 ただ蔵馬のためだけに……!
 支配される事など、初めてだった。
 飛影に取って他者とは「支配する者」か「敵」、もしくは関心を覚えぬ者。
 それが、蔵馬にだけは支配を許す。
 そう…飛影は本当はずっと望んでいたのかも知れない、自身の全てを委ねれる者を。
 蔵馬は無条件に従うべき者でもなく、委ねて終わりの者でもない。
 身体の支配は許しても、魂において彼らは何処までも対等であり、委ねあい、受け入れあう者だった。
 だからこそ飛影は許したのだ、心すら。
 そして更に求めてる。
 傷つきあい、傷つけあう。
 けれどその傷は、決して哀しい痛みではない。
 傷とは所有の証であり、愛情の証だから。

 その行為を背徳と、誰が言う?
 その行為を非道と、誰が言える?
 獣のような、けれど決して獣にはありえない駆け引き。
 他の誰が否定しても決して否定されない価値観が、そこにある。

 朝が近づくと、眠りが訪れる。
 彼らはまだ、夜の中。
 彼らはまだ求めてる、彼らはまだ満ちていない。
 満ちることは無いのだ、例えその中に豊かなオアシスを持とうとも、砂漠は水に焦がれ続ける。
 求める心に、限りは無い、そう、愛が色褪せるまでは。
 だからまだ夜にしか生きられない。
 それでも。
 彼らが幸せでないとは、決して言えないのだ。
 そう…彼らが満足している限り。

end



※作内のSM論はあくまでも作中での設定であり、私のSM観そのままではありません。